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選択バイアスの危険性
情報のリテラシー
週刊誌やテレビで話題になるとすぐにSNSで拡散されていきますが、そのほとんどが「炎上」なる悪い情報の拡散であることが多いようです。
最近では、お笑い芸人の過去の出来事に対して多くの誹謗中傷やスポンサーに対しての抗議など、問題が起こってしまうとなかなか収束は難しいようですね。
情報が広がりすぎると、様々な憶測やデマも混じりカオスな状況を作り出すこともあります。私たちのような、情報を受け取る側にも情報選択とリテラシーが求められると強く感じます。
そんな中で最近よく感じるのは、私たちは目の前の出来事に対して、自分の管見の範囲でしか判断できていなのではないか?
自分の目に見えている部分だけで物事を判断してしまっているんじゃないか? という点です。
酔っ払いの自転車乗り
有名は話で、酔っぱらいの自転車乗りという話があります。
ひと昔前に自転車に乗った酔っぱらいが、店から帰宅する道中に家の鍵を落としてしまいます。鍵が落ちたことに気づいた酔っぱらいは、慌てて自転車を止めて鍵を落とした場所を探してみます。しかし辺りは暗く、街灯がある場所しかよく見えません。
酔っぱらいは必至に街頭の下を延々と探しますがなかなか見つからない。
それもそのはず、鍵は街頭の下ではなく街頭の当たらない真っ暗な場所に落ちていた。
という話です。鍵が落ちた場所を探すのではなく、自分が見えている場所だけを探している。
これは選択バイアスの一つですね。 見えるところしか探せないので、その場所にあると思い込み(バイアス)が働いて
もうひとつ、戦闘機の補強の話があります。
戦時中に数多くの戦闘機が出撃していきます。それらの戦闘機が敵から銃撃を受けて一部が破損していきます。しばらくすると、破損を受ける箇所がおおよそ同じ場所だということが判明します。ならばと、破損する回数が多い箇所を補強します。
しかし、そこは戦闘機にとっては重要な箇所ではなく、もっと他に銃撃を受けるとひとたまりもない心臓部の補強が必要なのに、、、、。
これも銃撃を多く受けている部分に意識が働き、選択バイアスがかかっているといえますね。
知識や認識
私は最近、家族とアニメのNARUTOをよく見ます。
主人公のライバルの兄(うちはイタチ)が写輪眼という、様々なことを見通す力をもっているのですが、そのイタチも言っていました。
「知識や認識とは曖昧なものだ。その現実は幻かもしれない。人はみな思い込みの中で生きている、そうは考えられないか?」
深いですね。
これも選択バイアスに縛られるなという警鐘なのではないかと。
自分の持っている情報、知識、経験、これらだけで判断してはいけない事が数多くあると 改めて実感した4月でした。